アルナーチャラ便り
2018年11月 第6号

9月に入ってアルナーチャラに雨が降り出し、ほぼ2日おきにある夕立のおかげで随分と過ごしやすくなりました。そして、10月〜11月の雨期になると洗濯物が乾かず、部屋中に洗濯物がぶら下がる季節となるのです。11月22日にはディーパムと呼ばれるお祭りが行われ、アルナーチャラの山頂には聖火が灯ります。家の中では相変わらず洗濯物がぶら下がったままですが、マハルシが予期されたように、雨の日でも不思議と火がつき山頂が一望できるのです。このように、アルナーチャラ周辺ではたくさんのミラクルが起こっています。

今月号は「ディーパム特集」として、このお祭りの由来や聖火にまつわる奇跡をお伝えいたします。「ペリヤ・プラーナム」は来月、特別号にて配信予定です。お楽しみに。

目次


ラマナ・アシュラム
10月・11月の行事

1. ナヴァラートリ・フェスティバル

10月9日〜19日

母堂の神殿に座す女神ヨガアンビカが神輿に乗って出てこられ、外の神殿に飾られて9夜9変化して、その神秘的な美しさを崇拝する祭典。

2. カーティゲイ・ディーパムの祭り

アルナーチャラの頂上にかがり火が点火される祭り。

11月13日〜22日
アルナーチャレシュワラ寺院から出発する5神の壮大な行列が、寺院の周りを5〜6時間かけて1周する。

11月22日
山頂に火が付き、9夜連続で点火される。

3. サットサンホール: WHO AM I HALLの新設

ラマナアシュラムの敷地内にサットサンホールが新設されました。9月13日に竣工式が執り行われ、今はSRI Ganesha さんによる講話が週3回行われています。


Karthigai Deepam
ディーパム特集1
シヴァ神の光 夢の10日間

カーティゲイ・ディーパムとは

タミル暦のカーティゲイ(星の名前)月である11月中頃〜12月中頃の満月の日、それぞれの家や寺院をオイルランプで飾り、祝うお祭りのこと。

カーティゲイ・ディーパムの由来

古事によると、シヴァ神が光の柱になって現れたという伝説に基づいている。ある時、ヴィシュヌ神とブラーマン神の間でどちらが偉大かという烈しい口論が生じた。シヴァ神が仲に入り、口論を治めるためにコンテストを行なうことになった。シヴァ神は巨大な「火の柱」として現れ、この火柱の上端か下端を見つけたものこそがより優れた者だと二人に告げた。

ビシュヌ神は猪の姿をとって地下深く掘り続け、ブラーマン神は白鳥の姿をとって空高く舞い上がる。何世紀が過ぎても彼らは目的を達することができない。ビシュヌ神は掘るのをあきらめて、深い地下で瞑想に入った。謙虚に自分の非を認め「火の柱」はまさに覚醒の光となり、空間や時間を超え、自分の理解を超えていると悟った。誇り高いブラーマン神は星々を超えて飛び続け傷心するうちに、シヴァ神を騙そうと計画を立てる。上空から落ちてきた松の花を掴んで、これをシヴァ神に見せて「火の柱」の先端から取ってきたものだと告げた。シヴァ神は嘘をついたブラーマン神を懲らしめるため、彼の名前がつけられた寺院はいっさい建立されることはないと宣言を下した。どちらにしても、二神とも「火の柱」の両端を発見することはできなかったため、二神は謙虚にシヴァ神に許しを請うた。

その間、「火の柱」は壮麗に輝き、その光を見る人は、まぶしさで目を開けていることができなかった。二神は地球の人々や天上の人々が崇拝することができるように「火の柱」を縮小して、その光を崇拝することで、人々が幻想の暗闇から解放されるようにとシヴァ神に懇願した。シヴァ神はこれを受け入れて、「毎年、カーティケイ月にアルナーチャラーの丘の頂上にかがり火となって私は現れる。この火を見て瞑想する人は覚醒の炎をその人自身の中に見いだすだろう。」と宣言した。

10日間の夢のようなお祭り

アルナーチャレーシュワラは毎夜、輿にかつがれて寺院から町の大通りに出てこられます。ガネーシャー神、女神ウンナマライ、ムルガー神、チャンディーヶシュワラ神もそれぞれ輿に担がれ一緒に出てこられます。その後、この五神が毎夜違った乗り物に乗られて広大な寺院の外側を1周されます。乗り物とは雄牛、トラ、ライオン、馬、ゴールデンチャリオット、ラタム(山車)等々です。花輪と五色の光で飾られた神々の行列は、町中の人々を魅惑し、神への信仰心が極みに達する10日目の夜、6時キッカリ、丘の頂上に火がともりお祭りは終了します。その後9日間、毎夜6時、聖火(ディーパム)は燈り、この火を見ながら丘を一周すると願いが叶い、測り知れない恩寵が授けられると言われています。

熱気と興奮

ティルヴァンナマライのアルナチャラを愛する人々の熱気と興奮は、世界中どこを探しても見つけることはできないでしょう。この小さな町全体が何万という人たちで埋め尽くされます。町の住民はもとより他の州から人々は流れ込んで、寺院周辺の交通は完全に遮断されます。去年は一万人の警官が配備されましたが、極端に凝縮された目に見えないエネルギーをどのようにコントロールすることができるでしょうか?

ハイライトはラタムと呼ばれる、およそ5階建ての高さの山車。その社には、アルナーチャレシュワラーが座っておられ、何千人もの帰依者が「アローハラ!アローハラ!(アローもハラもシヴァという意味)」と叫びながら鎖を引っぱって山車を動かします。そして町の真中にある広大な寺院の周りを一日かけて一周するのです。屋上からは祝福のバラの花びらがラタムに降りそそぎ、熱気が最高潮に達します。
(文責:S)


Miracle of Karthigai Deepam
ディーパム特集2
カーティゲイ・ディーパムの奇跡

毎年アルナーチャレーシュワル寺院が執り行う10日間のカーティゲイ・ディーパム祭は、アルナーチャラ山頂で巨大な聖火ディーパムを灯すことで最高潮を迎えます。バガヴァーンは、ホールの外に座ってこの光景をご覧になりました。丘の上にディーパムが灯されると、バガヴァーンの御前に置かれたギーのランプにも火が灯されるのでした。

バガヴァーンが肉体を去られてからは、外に飾られたバガヴァーンの写真の前にギーのランプが置かれるようになりました。そして丘の上のディーパムが灯されるのと同時に、このギーのランプにも火が灯されます。バガヴァーンの存命中と変わらないアーシュラムでのこの習慣は、今日も続けられています。

以下は、当時サルヴァーディカーリー(会長)だった父 T.N.ヴェンカタラーマン氏から不在中のアーシュラムの仕事を任されていたガネーシャン氏がチャドウィック少佐と交わした、バガヴァーン存命中のディーパムにまつわるエピソードです。

1961年、ディーパムの日。激しい雨が降り出し、ラマナアーシュラマムで伝統的に行われてきた、外にバガヴァーンの写真を飾ってランプを灯す行事ができなくなってしまった。私の動揺した様子を見て取 ったチャドウィックが言った。「ガネーシャン、心配には及ばない。写真を食堂の中に運んで、そこでランプをつければいい」しかし、私は懸念を口にした。「儀式には関心を示されなかったバガヴァーンですが、カルティーカイ・ディーパムをご覧になる時だけは別でした。どうしてアーシュラムの伝統から外れたことが、私にできましょうか? 父の不在中に、伝統に背くことはできません」。

するとチャドウィックは次のように語って、私を安心させてくれた。「バガヴァーンの存命中にも、同じように雨が降った年があったのですよ。その時バガヴァーンは、食堂に入って大きな扉を開けて、そこから丘の頂を見上げることを提案されたのです。隣にいた私は、『バガヴァーン、このひどい雨では、ディーパムは見えないでしょう』と言いました。しかしバガヴァーンは双眼鏡を手に取って覗き込むと、『ほら、見ていて下さいよ!』と強くおっしゃったのです。すると丘の上でディーパムが灯された瞬間、雨は止んで、雲の晴れ間にディーパムの灯火が数分の間垣間見えたのです!これが奇跡というものです。バガヴァーンはすぐに、『さあ、ギーのランプを灯しなさい。ディーパムが灯されたのですから』とおっしゃいました。ですから、私たちもこれに倣いましょう!」。

土砂降りだったので、私は少々懐疑的だったが、とにかくチャドウィックの助言に従った。チャドウィックは私の隣に座ると、熱意を込めて言った。「ほら、見ていて下さいよ!」すると、驚いたことに全く同じことが起こったのだ!丘の上にディーパムが灯されると同時に雨が止んで、雲に切れ間が出来たのだった。そして私達も食堂内に飾ったバガヴァーンの写真の前に置かれたギーのランプを灯した。再び雲がやって来て、ディーパムを覆い隠してしまう前に。
(翻訳:G)


珠玉の言葉 恩寵とグル

「グルは必要ない」とは言いませんが、グルが常に人間の姿をとる必要はないのです。まず人は、自分が劣っている者だと考えます。それからそれに優る神、自分と世界の運命を司る全知全能の神がいると考えて、その神を礼拝したり、帰依(バクティ)したりするのです。ある段階に達して、悟りに相応しくなると、それまで礼拝していたのと同じ神がグルとしてやって来て、さらに導くのです。そのグルは、「その神はあなた自身の中にいる。内に飛び込んで、悟りなさい」と伝えるためにだけやって来るのです。神、グル、真我は同じものなのです。

 実現は、教えや法話や瞑想などよりも、グルの恩寵の結果なのです。前者が二義的な助けに過ぎないのに対して、後者は絶対に不可欠なものなのです。

 グルの恩寵は、常に存在しています。ところが、「恩寵とは、どこか空の彼方にあって、降りて来なければならないものだ」とあなたは想像しているのです。本当はあなたのハートの中にあって、どのような方法によってであれ、心をその源に没入させて溶け込ませた瞬間、内なる泉からの恩寵が迸り出るのです。

 ギャーニと接するのは、良いことです。彼らは沈黙を通して働き かけます。グルとは身体的な存在ではないのです。それゆえ、グルの身体的な存在が消えた後でさえ、グルとの接触は残り続けるのです。

 神へのバクティが成熟すると、神はグルの姿をとってやって来て、外側から心を内側に押し込み、またその一方で、真我として内側にありながら、内側へと引き込むのです。こうしたグルは一般には必要とされますが、非常に進歩した稀な魂には必要ありません。

 グルが亡くなった後、別のグルのところに行くことはできます。しかしどのグルも形を持たないので、結局は一つなのです。精神的な接触が常に最高のものなのです。

 サットサンガは、サットすなわち実在との関わりを意味します。サットを知る者、サットを実現した者もまたサットと見なされます。こうした関わりは、誰にとっても絶対に必要です。「三界に、サットサンガほど安全に輪廻の大海を渡してくれる舟はない」とシャンカラは言っています。

 グルは身体的な存在ではないので、肉体が消えた後もグルとの関わりは続くでしょう。一人のギャーニがこの世に存在するなら、その影響は直弟子のみならず、世界中の全ての人々に感じられて、利となるでしょう。『ヴェーダーンタ・チューダーマニ』に記されているように、世界中の人々は四つの範疇に分類されます。グルの弟子、バクタ、グルに無関心な人、グルに敵意を抱く人々です。これらすべての人たちが、それぞれのやり方と様々な程度において、ギャーニの存在から利を得るでしょう。

 D.C.デーサイの著書『神への全託による聖なる恩寵』の中で引用されたポール・ブラントンの文を、バガヴァーンが朗読した。

「聖なる恩寵は、宇宙の自由意志が作動している現れだ。あらゆる自然の法則に優る恩寵の法則は、知られざる神秘的な方法で、事態の流れを変えることができる。この二つの法則が相互に作用することで、恩寵は自然の法則を修正することができる。
 これは宇宙で最も強力な力だ。
 恩寵が降って作用するのは、完全な自己放棄によって呼び起こされた時だけだ。神は万人のハートに宿るので、恩寵は内側から働きかける。自己放棄と祈りによって浄化された心においてのみ、その囁きは聞かれるのだ。
 合理主義者が笑い、無神論者が軽蔑しても、恩寵は存在する。恩寵とは、気づきという魂の領域に神が降りることだ。思いもよらない予測不可能な力の訪れだ。恩寵とは、宇宙の沈黙が語る声であり、 "それ自身の法則に従って、真の奇跡を起こす宇宙の御心" なのだ」

 実際、神とグルは異なるものではありません。虎の顎に捕らえられた獲物のように、グルの恩寵の眼差しに捕らえられた者は、グルに救われて、道に迷うことはないでしょう。それでもなお、各自が独自の努力によって、神やグルから示された道を追究して、解放されるべきなのです。

 神を求めるそれぞれの探求者は、独自の道、自分だけのために敷かれた道を歩むことを許されるべきです。力づくで他の道に改めさせることはできないでしょう。グルは弟子の道を共に歩み、機が熟すと、徐々に至高の道へと方向転換させます。例えば全速力で走っている自動車を突然止めたり、曲がらせたりするならば、悲惨な結果を招くことになるでしょうから。
(翻訳:G)


マハルシへの質問集 Q & A

「TALKS with Sri Ramana Maharshi(ラマナ・マハルシとの対話)」等から抜粋して、洞察の光を当てましょう。読者からの質問も大歓迎です。

Q: 私とは誰でしょうか? どのようにして、それを見いだすのでしょうか?

A: あなた自身にそれを問いなさい。身体とその機能は私ではありません。さらに深く進むと、心とその機能も私ではありません。次にこれらの想念はどこから湧き起こるのか?と問うことです。想念は自発的で、表面的で、分析的です。それは知性の働きなのです。

では、誰がそれに気づいているのでしょうか? この分析の結果、想念やその流れの存在を認識するのは、個人の人格であるということがわかります。

この人格が自我(エゴ)、一般に言われる「私」です。知性は「私」(エゴ)の鞘にすぎず、「私」そのものではないのです。

私は身体ではない、心ではない、知性ではない、個人の人格でもない。
それではいったい「私」は何なのか? あなた自身にそれを問いなさい。
【TALKS 25より抜粋】


Ramana Satsang
ラマナ・サットサンの勧め

ラマナ・サットサンとはシュリー・ラマナ・マハルシの帰依者の集まりで、シュリー・ラマナの臨在を体験することが目的です。誰でもその地域で自宅を開放してサットサンを運営することができます。サットサンのモデル形式は次のような組み立てになっています。

ラマナ・マハルシ「トークス」等の読み合わせ
タミルパラヤナやヴェダパラヤナの詠唱、またはそれらのCDを聞く瞑想
沈黙の瞑想  15分〜1時間
最後の読み合わせ「シュリー・ラマナ・アシュラムからの手紙」等
皆さんの地域ですでにサットサンが行われている場合は、SILENCE宛てに住所や連絡先をお送りください。
私を愛する人々が集うところ、そこに私は必ず現れる。
- Sri Krishna


ラマナ・サットサン連絡先

既存のサットサンの日時や場所を確認してこ参加下さい。

  • 大阪(梅田)服部 正  Tel. 06-6314-3211 / Email: t-yogi17@emobile-s.ne.jp
  • 埼玉(所沢)村山 宗閑 Tel. 090-5453-9551 / Email: suisei.77@gmail.com
  • 東京(渋谷)佐藤 宗一 Tel. 080-3709-9961 / Email: soicsa@gmail.com
  • ラマナ アルール瞑想室 in Tokyo(http://ramana-Arul.tokyo

編集 / 翻訳 崎山綾子・ダムール貴子・鈴木らん